「婚活」という言葉ができて早15年あまり。
30歳前後で結婚していない人にとっては、すっかり当たり前に意識される言葉になりました。実際、婚活サービスの市場も年々拡大し続けているようです。
かくいう私自身、今年で33歳になります。世間的には結婚適齢期です。子育てがしたいという願望もあります。子育てをするためには結婚をしているべきだ、という社会規範に従うならば、結婚するために何らかのアクションを起こす必要がありそうだ、と日々考えるところです。
しかし、私は現在、京都の4DKの一軒屋で大学の後輩たちと一緒に暮らしています。ひとり暮らしというものをついぞしたことがなく、シェアハウス(血縁や恋愛関係にない他人と一緒に暮らす住まい)の実践歴はもう8年になります。
私がシェアハウスをしている理由は、簡単に言えば家賃が安いから、他人と一緒に暮らしても特に気にならない(むしろ寂しくない)から、です。
ただしそれ以上に、現代日本社会において「結婚して家族をつくる」ということがどんどん信用できなくなってきているからです。「家族」を超えたよりよい暮らしや人間関係の可能性を考えるために――「妄想」するために――シェアハウスという場所に身を置き続けているのです。
この文章では、不動産屋としてルームシェア/シェアハウスの仲介や管理をしつつ、社会学の立場からシェアハウスについて研究し、自分でもシェアハウスに住んでいる私が、現代日本社会において刻一刻と変化している人間関係や家族の状況をふまえて、きたるべき「シェアハウスに住むことが当たり前の選択肢になった社会」の妄想を展開していきます。
どうかお付き合いいただけたら幸いです。
「そこにある」関係から「自分で作る」関係へ
シェアハウスについて妄想する前に、まず現代社会において「結婚して家族をつくる」という営みがどういう状況にあるのかを把握しておきましょう。
結婚のために大事な条件はいくつもあります。その中でも著しい時代的な変化が見られる重要な条件が「良い相手にめぐり合えるかどうか」ということです。
この条件について、長年にわたって把握してきた大規模な調査があります。「出生動向基本調査」というものです。この調査は、結婚した人の「出会いのきっかけ」について調査してきました。
調査によれば、いつの時代も「職場や仕事で」と「友人・兄弟姉妹を通じて」の割合が高く、それらを合わせたものが5割以上を占めてきました。しかし、最新の調査データではそれらの割合が下がっています。
その代わり、「出会いのきっかけ」の1割以上が「ネットで」(SNSやマッチングアプリなど)になったことが分かっています(2015年までは「メディアを通じて」)。コロナ下において人が集まることが制限されたこともあり、ネットを通じた出会いがかなり一般化したようです。
ネットでの出会いから結婚に至ることが一般化しつつあるということは、個人にとっての出会いや結婚のための選択肢が増えたということです。個人の視点から見ると、出会いや結婚のための選択肢が増えれば、その分だけ結婚できる確率は高まりそうに思えます。
しかし、現実には日本では「非婚シングル」が増加し続けています。生涯未婚率(50歳の時点で一度も結婚したことのない人の割合)は現在、男性では約28%、女性でも約18%にのぼります。
3組に1組離婚すると言われる離婚率も考慮に入れれば、「結婚して家族をつくる」という従来の生き方はもはや「誰でもできる」ものではなくなってきているのです。
なぜ、現代では出会いや結婚のための選択肢が増えているのに「結婚して家族をつくる」という生き方がうまくいかないのでしょうか?
その根本的な原因は、社会における人間関係の作り方が変化したことにあります。現代においては、地域や親戚の関係は薄れました。職場や学校においてさえも自分からコミットしなければ「深い人間関係」は生まれません。「新しい人間関係のあり方」と言えるSNSやマッチングアプリについても、自分から発信やアプローチをしていかないことには、自動的に関係が生まれることはありません。
一言で言えば、人間関係は「そこにある」関係から「自分でつくる」関係へと変化しました。
現代の人間関係はしばしば「自由な選択」の連続であり、惰性で続いているように見える関係でさえも、自由に関係を「切る」ことがかつてよりも簡単になりました。
たしかに、人間関係を作るための選択肢は増加しています。それは、関係の「入口」を増やしていることでしょう。しかし、有限の時間で人間が処理できる情報には限界があります。
LINEやSNSが発達し、繋がりのある人たちを「友だちリスト」や「フォロワー」として管理できるようになった現代において「友だち100人」を作ることは理論上可能ですが、そんなにもたくさんの関係を維持するためには莫大なコストがかかることになります。現実的にはせいぜい、相手の発信を追いかける「生存確認」ができるぐらいでしょう。
その中で「深い人間関係」を築ける相手は数人、多くても10人程度でしょう。関係の「入口」が増えた分、その中から深く付き合う相手は、意識的にであれ無意識的にであれ「選別する」ことになりがちです。
以上をまとめますと、人間関係の選択肢が増えると、関係の「入口」は増えますが、その分関係の「選別」をすることになりますし、逆に「選別」ができないと関係の「維持」が困難になるということです。
これは比喩的に言うならば、人間関係は「自由市場」に近づいているということです。「買い物」をするかのように人間関係を作っていることを想像してみてください。私たちは少ないコストで良い買い物がしたい(いわゆる「コスパ」志向ですね)。だからこそ、関係を維持するためのコストをあまり支払わずにより良い関係になれそうな人と「深い関係」を築くという選択をすることになります。
逆に自分にとって相性が合わなそうな人や、関係維持にコストがかかりそうな「面倒くさい」人にはわざわざこちらから連絡を送ることはありません。SNS上やLINE上での「友だち」にはなるかもしれませんが、そこから関係は深まっていかないでしょう。
もちろん今の時代でもやはり「偶然の出会い」はありますので、そのような「コスパ計算」を超えた出会いがあり、そこから深い関係が築かれていることはまだまだ起きているでしょう。それにたとえば、Aさんが、Bさんにとっては「深い関係」になりたくない相手であっても、Cさんにとっては「深い関係」になりたい相手だ、ということはよくあることです。だから現代でも「深い関係の友だちが1人もいない」という人は珍しいでしょう。
厳しい結婚市場から離れて新たな生き方を探る
しかし、この「人間関係の自由市場化」がとても厳しいカタチで現れてしまうのが結婚市場です。ただの友だち関係であれば、相手のイヤな点にも多少は目をつぶれますが、結婚する相手を選ぶとなるとなかなか妥協ができなくなるものです。
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