妄想は、目の前の現状に縛られた私たちの思考や視点を少し自由にしてくれる。そして、それはより良い未来を想像するために必要な作業であろう。今回、私はこのような執筆の機会を与えられ「自由に妄想してよい」と言われたので、その言葉に甘えて私の妄想を展開してみたいと思う。
私が妄想するのは、障害のある人、なかでも、介助が必要な障害者があたりまえにあなたの身近にいる未来だ。さらに、もっと先の未来として妄想するのは、介助が必要な障害のある子どもが幼少期から公的な介助を使い[1]、介助者とともに自分の世界を守ったり、広げたりしていける未来である。
介助を使って地域で生きる、自立生活という実践
今年で27歳になる私は、大学進学を機に一人暮らしを始めて今年で9年目になる。最初の頃は慣れなくて要領悪く行っていた家事も、今では手の抜き方も含め慣れてきた。また、一人暮らしを始めて1〜2年の間は大学の長期休みのたびに長いこと帰省していた実家も、今では帰る頻度も期間も少なくなった。それだけ一人暮らしの居心地の良さを感じるようになった、ということだと思う。家族にあれこれ言われず、家族のペースに合わせなくても良いというのは本当に気楽なものである。
こんなふうに私は現在この自由な暮らしを絶賛満喫中なのだが、しかし、私の一人暮らしは一般にイメージされる一人暮らしとはおそらく違うと思う。なぜなら、私の一人暮らしには24時間、常にそばに「他人」がいる、介助者との生活だからだ。
私には生まれつきの障害がある。脊髄性筋萎縮症(SMA)という全身の筋力が徐々に衰えていく進行性かつ先天性の難病だ。乳児期から小児期に発症するSMAの罹患率は10万人あたり1~2人らしく、私はなかなかにレアな身体をもって生まれてきたらしい。自分で歩くことや立つことは全くできないため、3歳から電動車いすに乗って生活している。また、手や腕の力もほとんどないため、日常生活のほぼ全ての動作に介助が必要である。服を着ること、トイレに行くこと、寝返りを打つこと、ペットボトルのふたを開けること、ペットボトルを口の近くまで持ち上げること、iPhoneのサイドボタンを押すこと、お菓子の個包装の袋を破って開けること、ピアスをつけること、じゃがりこの蓋をめくること、などなど。大きい動作から細々とした動作まであらゆることに介助が必要だ。
このように日常生活のほぼ全ての動作に介助が必要な、いわゆる「重度」の障害者は、親元あるいは施設で生活しているのをイメージする人が多いだろう。しかし、そんな「重度」の障害のある人でも、親元や施設を出て、地域に出て暮らすことができる。その実践とそれを支える制度が日本にはある。その制度の主な一つが重度訪問介護という制度だ。
障害のある人が親元や施設を離れて地域で生きる実践は、1970年代から始まる日本の障害者運動まで遡る。障害のある人は戦後長らく、親元や施設など地域から隔絶された場所で「自由」を奪われた生活を強いられてきた。しかし、そのような状況に対して疑問をもった障害当事者らが、命をかけて親元や施設から飛び出し、地域に出て、他人の介助を受けながら暮らすという実践を行ってきたのだ。このような暮らし方や実践は「自立生活」と呼ばれる。ここでいう「自立」は、経済的自立や身体的自立といった一般的な意味ではなく、「自己決定」「自己選択」していくことを指している。これまで他者に暮らし方や生き方を決められていた障害者が、自分で自分の暮らし方や生き方を決めること――それが「自立」なのである。
当初、自立生活をするために必要な介助者はボランティアを集めることによって賄われていた。しかし、それは非常に大変なことで、明日の介助者を確保するために電話をかけまくって1日が終わってしまうということもしばしばあったそうだ。そこで、安定的に介助者を確保するための制度を構築する必要
めっちゃ良い文章。
立場や境遇は違うが今になって、一緒に言わば青春時代を迎えてる気がしています。
これからもよろしくです。