山奥ニートをやめて半年が経った。
十年間、山奥ニートだった。
山奥では十数人の若者と共同生活をしていた。男も女もいて、年齢は上は四十代、下は十代の子がいたこともあった。
廃校となった小学校の木造校舎を使っていたけど、僕はそれに隣接した職員宿舎として使われていた離れに自室を持っていた。寝起きは自室でして、食事は母屋のダイニングまで食べに行った。
離れは母屋より山側に建っていて、木の間をくぐって湿気を含んだ風が来るぶん建物は傷んでいる。床に沈んで波のようにうねっていて、玄関扉は腐って無くなり常に出入り自由。廊下の電気は漏電が怖いので使わず、建物というよりは洞窟のようだった。
前の住人が植えたツルニチニチソウが、春になると空色の風車のような花を咲かせ、夏になると蔦が伸びて外壁を覆い、冬になって枯れたそれを引きちぎって元に戻した。人に飾られることなく、季節が巡ると勝手に咲くのが気に入っていた。
このボロ家で、僕は好きな時間に起き、好きな時間に食べ、好きな時間に寝て、好きなときに旅に出た。
快適とは程遠い場所だが、ここでは家賃ゼロだった。家賃が浮くことで、他の人が家賃分を稼いでいる時間だけ僕のほうが自由だ。最も生活費を安くあげていた時期は、月に1万8000円で暮らしていた。月1万8000円でひとり暮らしは爪に火を灯すような節約が必要だけど、月18万円で十人が暮らすのはけっこう余裕があった。
共同生活なので、同居人が揉め事を起こすこともあったけど、基本的には平和な毎日だった。
こんな山奥に来る人は、どこかしら人生を諦めていて、その生気の無さが不干渉に繋がり、互いのことを詮索しない風土ができていた。あだ名で呼び合っていたから、一緒に暮らしているのに本名を知らない人もいた。
日本で最も、何も縛らない居場所だったと思う。
そんな場所になったのは、僕が何よりも自由でいたかったからだ。
人間にとって一番大事なのは自由だ。
自由意志の元に成されない善は機械と同じだし、最悪の選択肢しかない状態で悪の道を選んだ人には同情の余地がある。
書籍になった『「山奥ニート」やってます。』(光文社)で4年前の僕はこんなことを書いた。
“ここでは挨拶しない権利を守りたい”
挨拶ですら、意思なく強制で行われては意味がないと思った。挨拶したい人はしたらいいし、したくない人はしなくていい。それくらい僕にとって自由は絶対的なものだったのだ。
しかし現代日本では、自由気ままに生きることを阻むものがある。
働かなければ飢えて死ぬ、という今日の常識はこの最たるものだ。
生活費を人質に取って、資産が無い人の労働力を搾取している。基本的人権をはっきりと侵しているじゃないか。
”働かざる者食うべからず”という言葉が過去の価値観として歴史の教科書に載ったとき、それを学ぶ生徒は不思議に思うだろう。奴隷を当たり前に存在するものだと認識していた昔の人に感じる隔絶と同じように。
世の中のみんなが「働きたくないから山にこもる」と堂々と言うようになれば、資本によって支配している人は慌てるに違いない。
だから僕がやっているこの「山奥ニート」は、自由を得るための一種のレジスタンスなのだ。
まぁ少々わざとらしく書いてみたけど、山に住み始めた頃はこんなことを考えていた。
山奥ニートになり、僕は自由の最先端に立った。
お金からも時間からも自由になった僕は、人知れずある実験を始めた。
それは、すべての習慣をやめてみる、というものだった。
風呂に入る習慣をやめた。都会と違って人が密集することがないし、そもそも山奥では誰にも会わずに何日か過ごすことができた。風呂に入らない期間が長くなると尻の穴がかゆくなってくるので、それに我慢できなくなったらしぶしぶ風呂に行った。
朝起きるのをやめた。眠くなったときに眠って、起きたくなるまで起きない。そうすると夜が白んできたあたりで意識が無くなって、昼前に起きるという生活になった。
明日のことを考えずに酒を飲んだ。4リットルの安ウイスキーを買い置きし、勝手気ままに、無頼を気取って飲んだ。
それに飽きると今度は、風呂に入らない習慣をやめ、朝起きない習慣をやめ、酒を飲む習慣をやめた。別に単に堕落した習慣をしたいわけじゃないのだ。僕は習慣をしたくないのだ。とにかく惰性では何もしない。すべての自分の行動を、自分の意思で選択して日々暮らす。
そうしたら、僕は幸せになるはずだった。自由が人にとって最も大事なものならば。
でも別に楽しくなかった。ふーんって感じ。
けっきょく、人間どんな恵まれた生活でも慣れてしまうのだ。
それに、これだけ好き勝手しても、完全な自由じゃない。
たとえば、山奥で寝転がっているときに「ああ、海を見たいなぁ」と思ったとしても、瞬間移動することは現代科学ではまだできないから、すぐに海を見る自由が僕に無い。
たとえば、夜通し大して面白くもないゲームをしてしまって、朝になってそれが清々しい青い空の朝だったとき、この眠気をどこかに飛ばしてしまえたらなと思う。でもそれはできない。
どうしたって僕は三次元に存在する肉体から自由にはなれない。
人間がバーチャルの世界に生きるようになれば、瞬間移動や見た目を自由に選ぶことができるようになるし、意識をアップロードしてデータとして永遠に生きることができるかもしれない。そうなっても、自分の性格をある日急に変えることはできないだろうし、好きな人を確実に振り向かすことはできないだろう。
お金・時間・人間関係は人を縛る三大要素だけど、それらから自由になっても人間は完全に自由にはなれない。そして、人間は自由なほど幸せだ、ということもない。
これが山奥ニートとして、自由を味わい尽くした僕の結論だった。
内側にあったこの考えは、新型コロナウイルスの流行で臨界点を突破した。
***
新型コロナの話をするのは難しい。この文章を書いている時点で最初の波から四年が経ったけど、今だって何かをはっきりと言い切ってしまうと、どこからか「それは違う!」と怒声が飛んでくる気がして身がすくむ。
しかし、この文章は僕が思ったことを正直に書くと決めたのだから、恐る恐る書き進めよう。
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