●「妄想=非現実的なもの」ではない。
『妄想講義』という今回のコンセプトについて、企画書には
「妄想は、現実と理想をつなぐプロセスだ」
…という言葉がありました。
まずは現実の制約を取っ払って想像力を全開にし、「本来あるべき理想」を描ききった後、で、「現実」に戻ってきてそこから「妄想」までの道筋を一歩ずつ積んでいく生き方をしてこそ、「妄想」に意味が生まれるということなのでしょう。
ちなみに私は普段、「経営コンサルタント兼思想家」という肩書で仕事をしています。そういう意味では、私が普段「経営コンサルタント」としての仕事でやっている「現実」寄りの話と、一方で、この時代に「思想家」という看板を掲げて発信を行っている内容との間をつないで行こうとしている事自体が、まさに「妄想力の活用」的な行為だと言えるのかもしれません。
とはいえ、私は「思想家」業で発信している内容について、「経営コンサル業」での仕事内容に比べて、”実現性が著しく低い与太話”だとは全く考えていません。
その両者の違いはただ時間軸の問題であり、「とにかく直近でどういう手を打つか」が「経営コンサル的課題」だとすれば、「長期的に社会はこうなっていくはずだから、今のうちの少しでもこっち側を向いた方向性を出していきましょう」という課題が「思想家業」だと思っています。
そういう意味では、「現実」と「妄想」の間はそこまで断絶があるわけではなく、むしろ「目の前の次の一手」を考える時に、「妄想力の世界」の中にビジョンが見えているかどうかによって、その「一手」がちゃんと明確な意図を持ったものになるかどうかが決まるとさえいえるでしょう。
●「ズレ」に鋭敏になり、対応し続けるために「妄想力のビジョン」が必要
色んな経営者と仕事をしてきましたが、優秀な経営者は、「ずっと同じことをやり続ける」ということがありません。
一ヶ月、半年、一年もたてば、世の中の流れも変わりますし、今まで「100%世の中と噛み合っていた」サービスも、少しの流れの変化の中でズレてくる部分も出てきます。
また、会社全体が成長して売上や社員数が増えてくれば、新しい課題がまた見えてきたりもする。
そういう色々な変化の中で、ある瞬間は「100%噛み合ってる」手が打てていたとしても、だんだんと「ズレ」が生まれてきて、「打ち手の有効度」が「95%、90%、85%・・・」と下がってきてしまう事は避けられません。
優秀な経営者は常にその「ズレ」のことを気にかけており、そしてただただ「目先に対応策」に集中するだけでなく、「ズレを生み出した大きな世の中全体の変化」に気を配っています。
その「小さなズレ」の向こうから見えてくる「大きな変化」を鋭敏に描いていくことで、「明日の小さな打ち手」がまた「100%に近いレベルで噛み合ったもの」に修正することができるのです。
「妄想力」が本当に芯をとらえたものであるには、まず「現実の細部」において、「本当はこうであってほしいのになぜかズレてしまっている」というような要素に鋭敏になっていくことが大事だと私は感じています。
他人から見ると「そうかな?悲観的すぎじゃない?全然ズレてないように思えるけど」となるようなところで、「目指したい未来」がちゃんとある人は鋭敏に「ズレ」を感じることができます。
「ズレ」がどうして生まれてしまうのか?どうすれば「100%噛み合ってる!」状態に修正できるのか?という問いについて、同じ目線で課題を共有できる仲間と議論をし、次々と「先の先を見据えた手」を打っていけるかどうか。
それができている経営者や、企業体、そして「国」は、今がどんな苦境にあるように見えても将来は安泰なのだと私は考えます。
●では、日本国における「ズレ」とは何か?
とはいえ、今の日本国全体の問題について、「ほんのちょっとのズレ」程度で済んでいると思っている人は少数派でしょう。
ほんとうは「ちょっとしたズレ」の時点で常に鋭敏に修正し続ける事ができていれば良かったのかもしれませんが、小さい私企業ならともかく、一億人以上いる経済的にも大きな国となると、課題の共有に時間と手間がかかるのは仕方ないことのようにも思います。
ただ、これぐらい大きな課題においては、「ズレ」を「ズレ」のまま放ってくることができたこと、つまり「拙速に結論を出さずに」ダラダラと緩やかな(見た目上の)衰退を受け入れてきた事に、逆に「これからの可能性」を私は感じています。
コメントをするには会員登録・ログインが必要です
会員登録・ログイン