「盛り」の翼
2023年、日本と韓国とアメリカの学生、合計48人に会ってインタビューする機会を得た。テーマは「バーチャル・アイデンティティ」。
今では、世界中の人々の手元に、カメラとコンピュータとインターネットが一体化した端末が備わっている。
人々はそれを使って、リアル世界でのコミュニケーションとは別に、バーチャル世界でのコミュニケーションもするようになった。とくに若者の間では、それがすでに日常化している。
そこで人々は、リアル世界でコミュニケーションする時に見せる「リアルな外見」とは別に、バーチャル世界でコミュニケーションする時に見せる「バーチャルな外見」を持つようになった。私は画像について研究しているので、それに注目している。
3カ国の学生たちに協力してもらった研究は、次のようなものだ。
第一に、SNSで利用しているプロフィール画像を提出してもらった。プロフィール画像は、すでに普及している「バーチャルな外見」の代表例だと考えたからだ。
第二に、提出してもらったプロフィール画像をもとに、「バーチャルな外見」と「リアルな外見」との差異を測った。具体的には、ここでは「顔認識性」の低さと、「具象性」の低さを測るという方法をとった。
第三に、なぜそのような「バーチャルな外見」に決めたのか、インタビューをした。
学生たちのプロフィール画像の利用状況は多様だったが、共通点もあった。
SNSを完全にやめたというニューヨークの学生1人以外は、誰もが「バーチャルな外見」を複数持っていた。そして、その中には、「リアルな外見」との差異が大きいものが含まれた。
「バーチャルな外見」に「リアルな外見」を投影しない場合、そこにはいったい何を投影しているのだろうか。インタビューから次のようなことがわかってきた。
日本の学生たちは、アイドルや漫画やアニメなど、自分の「趣味」のようなものだということが多かった。韓国の学生たちは、自分の作品や社会活動など、自分の「実績」のようなものだということが多かった。アメリカの学生たちに話を聞くと、ファニーやクールなど、自分の「センス」のようなものということが多かった。
そして、そのような「趣味」や「実績」や「センス」を共有する人と、バーチャル世界でコミュニケーションしていた。それは、リアル世界における「学校」のコミュニケーションなどとは異なり、自由に選べるコミュニケーションだ。
そういう話を聞くと、今の若者たちを、うらやましく思う。
私は子供の頃、学校があまり好きでなかった。しかし私が子供だった1980年代は、学校以外の友達とコミュニケーションするのは容易でなかった。放課後も近所の公園で、学校の友達と遊ぶしかなかった。
そんな中で、算数の問題を解いている時だけは、リアル世界から解放されてバーチャル世界に飛び込める、自由な時間だった。だから私は算数が好きだった。
今の若者たちは、手元の端末を使って、いつでも自由にバーチャル世界へ飛び立つことができる。まるで翼を手に入れたかのように見える。
そのような自由な世界に飛び立つ時に必要なのが「バーチャルな外見」だ。「バーチャルな外見」と「リアルな外見」との差異を、日本の若者たちは、「盛り」と呼ぶ。
工学的「妄想」
私が、若者たちにインタビューをしているのは、画像コミュニケーションの未来を予測するためだ。そのために、若者たちの中で起きている現象を観察している。
このような方法は、私が学生時代に専攻した工学を土台にしている。技術開発における工学的アプローチは、モデリング、アナリシス、シンセシスという3工程で成ると習ってきた。
モデリングとは、リアル世界の現象を観察して、その中にある構造を抽出し、ものさしを立てて数量化する工程だ。
例えば、この技術開発の目的が、飛行機の翼を設計することだとしよう。それならば、鳥の飛行を観察し、翼の形状や流体力学的特性など、飛行の特徴を決める要素を抽出する。それをパラメータとした、飛行を表す数式を立てる。
アナリシスとは、数量化されたデータを用いて、バーチャル世界でシミュレーションする工程だ。
例えば、翼の設計の場合、形状や角度の値を変えて計算し、揚力が増加したか、抗力が減少したかなどを評価する。
シンセシスとは、バーチャル世界でのシミュレーションをもとに、リアル世界で実装する工程だ。
例えば、翼の設計の場合、実際に翼を製造し、風洞試験などを行う。
このように、技術開発のための工学のプロセスは、リアル世界での観察に始まり、リアル世界での実装で終わる。しかしその過程で、バーチャル世界を利用するのが特徴だ。
これは、リアル世界の現象にものさしを当てて、数量化することによって可能になる。それによってバーチャル世界で、リアル世界の制約に縛られない、自由なシミュレーションができる。
通常、工学で観察の対象とするのは、自然現象だ。しかし私は、工学の手法を応用して、文化現象を観察している。若者たちの中で起きている文化現象にものさしを当てて、数量化することにより、現状を把握し、未来をシミュレーションしようとしている。
ところで、ビジネスシーンでは、今、一人一人の「妄想力」が重視されているという。
「妄想」に、私はあまり馴染みがない。そこで国語辞典を調べると、「根拠のない主観的な想像や信念」といった意味が記されていた。バーチャル世界だけに閉じたプロセスを示すように考えられる。
しかし「妄想力」をテーマにした文献を参考にすると、リアル世界と関わりのあるプロセスを示すと考えられた。
参考文献では、「妄想」の後に、リアル世界での実現を前提としている。
田中安人『妄想力:答えのない世界を突き進むための最強仕事術』は、「妄想したからには、それを現実にすることが何より重要だと僕は思う。妄想力をビジネスに生かすには『絶対実現してやる!』という責任感とセットで考えたほうがいい」と述べ、宮本香奈『デジタルネイティブ世代のノーマル 人生が動き出す妄想する力』は、自身が海外に移住し起業した事実をもとに、「夢をなぜかなえることができたのかを振り返ってみると(中略)それは「妄想する力」だったと思います」と述べる。リアル世界で「実現する」ことや「叶える」ことが前提になっている。
また、「妄想」の前に、リアル世界の観察も前提としている。
参考文献で、「妄想力」の成功の象徴としてよく取り挙げられているのは、「鳥のように空を飛びたい」という「妄想」を実現させた「飛行機」の例だ。この妄想も、リアル世界で何も観察をせずに、起こったものではない。リアル世界で鳥が飛ぶのを観察したことをもとに、生まれたと考えられる。
つまり今、ビジネスシーンで重視している「妄想」は、リアル世界での観察から始まり、リアル世界での実現で終わるプロセスの中にあるものだ。その中の、バーチャル世界で試行する工程のことを、示している。
なぜ、バーチャル世界で試行することが重視されているのか。
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