人類最大の妄想「空を飛びたい」
今は無理だけれども、こんなことができたら便利なのに。
自分の手で、今の常識を超えるものを作り出したい。
人類発展の大きな原動力になったのは、人々のこのような妄想だ。
太古の昔から、人類の最大の夢は「鳥のように空を自由に飛びたい」でした。
おそらく、数百万年前に人類の祖先が初めて登場した時から願っていたでしょう。旧石器時代の祖先も、マンモスと戦いながら「空から攻撃できれば、もっと狩りが楽になるのに」と思っていたに違いありません。
けれど、残念ながら文字の発明前なので、詳細な記録は残っていません。
古代の人たちの「空を飛ぶ夢」が語られたものの中では、ギリシア神話のイカロスの話が有名です。ギリシア神話の成立は紀元前15世紀頃と見られています。初期は口承され、紀元前8世紀頃からは文字記録も残されるようになりました。
イカロスの神話は、このような内容です。
牛頭人身の怪物ミノタウロスの住む迷宮の攻略法をアリアドネーに教えたことで王の不興を買ったダイダロスとその息子イカロスは、塔に幽閉される。ダイダロスは腕の良い大工だったので、鳥の羽根を蜜蝋で固めて人間用の翼をつくり、脱出を試みる。
ダイダロスはイカロスに『羽根をくっつけている蝋は、海面に近づきすぎると湿気でバラバラになる。太陽に近づきすぎると熱で溶けてしまう』と忠告する。しかし、イカロスは自由自在に空を飛んでいるうちに太陽にも到達できると考えて、太陽神ヘリオス(アポロン)に向かって飛んで行く。その結果、太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死した。
この話は、後世の人が「科学技術への批判や人間の傲慢さを戒める意味合いが含まれている」と解釈しています。
けれど、悲しいかな、問題はそこではありません。
「ヒトは腕の力だけで体を浮かせるには重すぎる」のです。
このお話では、イカロスがうまく飛べなかったのは蝋が溶けたせいとされていますが、超軽量金属をハンダ付けして人工の翼を作ったとしても「無理なものは無理」だったでしょう。
それでも、鳥のように羽ばたけば飛べると考える人は後を絶ちませんでした。バードマン、タワージャンパーなどと呼ばれた勇猛果敢な素人は、世界各国、長年にわたって出現し、ある者は命を落とし、ある者は大怪我し、ほんの少数が奇跡的に無傷で着地しました。
「どうやら人間が人力で空を飛ぶためには、手の羽ばたきでは無理のようだ。ならば、カモメやトンビのように翼を広げたまま空を舞えばよいのではないか」
ようやくそのような考えに至り、科学技術を駆使して実践しようと考えたのが、「航空学の父」と呼ばれるイギリスの工学者ジョージ・ケイリー(1773-1857)です。
羽ばたきをせずに、翼を広げたまま空を滑るように飛ぶことを滑空と言います。後の研究で、滑空飛行は少ないエネルギーで長距離を飛べることが分かりました。ただし、高度を保つのが難しいため、滑空中の鳥は上昇気流を上手く利用しています。鳥の多くは「羽ばたき飛行」と「滑空飛行」を使い分け、効率的な飛行を行っています。
ケイリーは、羽を広げた形のままの固定翼を使った有人グライダーを考案し、1804年頃までに模型の試験飛行を成功させました。その後、ドイツの技術者であるオットー・リリエンタール(1848-1896)は固定翼のグライダーで飛行実験を繰り返しました。1891年には25メートル程だった飛距離が93年には250メートルになりました。
リリエンタールの記録に触発されたアメリカの自転車屋のライト兄弟(兄ウィルバー1867-1912、弟オーヴィル1871-1948)は、初めはグライダーで飛行実験していましたが、その後、動力付き飛行機の開発に注力し、1903年に12馬力のエンジンを搭載したプロペラ飛行機で人類初の有人動力飛行を成功させました。
このように「人が空を飛ぶ夢」を叶えたのは、たかだか100年前のことです。もっとも、500年前に後世で実現された人力飛行機の設計の詳細を妄想していた「飛行史の特異点」と言える男がいます。「モナリザ」や「最後の晩餐」の絵画の作者として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)です。
飛行史の特異点「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
レオナルドは15世紀の後半に、鳥の骨格や筋肉、飛び方を徹底的に調べたり、スケッチを繰り返したりしていました。その結果、「人の飛行は腕の力のみでは無理だ」「揚力を得るためには翼の形(湾曲)が大切だ」という結論に至り、実現可能と思われる飛行機械を設計しました。彼のすごいところは、自分が設計した飛行機械は当時の科学技術(素材)では重くなりすぎて作成が難しいことも理解していたところです。
レオナルドが考案した著名な飛行機械は、「エアスクリュー(ヘリコプター)」「羽ばたき機」「パラシュート」「グライダー」の4種です。
彼は、ヘリコプターの原理を最初に考案して図示した人物とされています。そのため、ヘリコプターの日(4月15日)はレオナルドの誕生日が選ばれています。
レオナルドが書き残したヘリコプターの図は、螺旋状の翼を脚力で高速回転させ、空気を押し下げて空を飛ぶものです。現在は、レオナルドのヘリコプターは回転翼の反力が考慮されていないため、機体がくるくる回ってしまってうまく飛べないことが分かっています。けれど「脚力を使った人力ヘリコプター」というアイディアは、4枚のプロペラを回す形に修正することで、2013年にトロント大学の研究チームが成功させています。
レオナルドの羽ばたき機は、脚力を動力源とするのと、鳥の観察を活かして湾曲やキャンバー(翼の中心線と翼弦線との差)までこだわり抜いた翼の形が、当時としては画期的です。似た原理の飛行機械はトロント大学で2010年に試作され、飛行試験に成功しました。
中世では、「高所から降りるとき、布を広げれば怪我をしないだろう」と考えてチャレンジする者の多くは、木枠に丈夫な布地を貼り付けたものを使用しました。レオナルドはピラミッド型に布を張り、空気をより溜め込めるようなパラシュートを考案しました。当時、試験に成功していたかは定かではありませんが、2008年にスイスの男性が最新の素材でレオナルドのスケッチどおりパラシュートを作り、高度600メートル地点で開いて着地に成功しています。
さらに、レオナルドは固定翼で滑空するという概念を、ジョージ・ケイリーよりも300年前に既に持っていました。ヘリコプターのときと同じく、飛行を安定させるために別の翼を付けるというアイディアは持ち合わせていませんでしたが、現代のハングライダーの基礎となる設計を考案していたと言えるでしょう。
100年前の人が妄想する「西暦2000年」
飛行機械について数世紀も先取りした妄想をしていた天才レオナルド・ダ・ヴィンチに対して、リリエンタールやライト兄弟が現れた100年前の一般人は、空を飛ぶ夢をどのように妄想していたのでしょうか。将来は、誰もが飛行機で自由に空中散歩できる時代になると考えていたのでしょうか。
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