外資系企業で仕事をしていると言うと、「わー、英語、ペラペラなんですかぁー」とよく言われる。外資系企業の仕事を奨めると、「私、英語ダメなんですよ、、」などという言葉が返ってくる。そう、英語ですね、英語。
日本人は英語コンプレックスが凄いですね。
私は実にその外資系企業数社で20年以上仕事をしてきた。
とある、世界屈指のエンターテイメント企業の部長職だった時は部長職以上の人で海外の大学に留学経験がない人は、私だけだったと記憶している。外資系、となると本社担当とのコミュニケーションやアジア、ヨーロッパ各国の担当とのコミュニケーションもそれなりに多く、全て英語。メールも英語。文字通り英語まみれの世界に入る。広報などやっていると本社の決算発表資料やニュースリリース、付随する資料、ロサンゼルスタイムズやニューヨークタイムズ、ブルームバーグなどの英語記事、膨大な英語の書類を読むことになる。
私のアシスタントも、カナダの大学を卒業した女性だったし、部下には海外の大学院で博士号をとってきた超優秀な人もいた。
私の英語は、NHK英会話である。
「部長はどちらに留学されてたんですか?」
「NHK」
「????」
よく考えて欲しい。確かに、韓国や中国、インドなどのアジア諸国も英語の教育には力を入れているので、そんな大きな外資系に来る人たちは英語に自信がある人たちばかり。韓国ですら国内での英語教育はかなりのレベルである。でも、日本だって、中学からずっと英語の授業はある。日本の英語教育だって捨てたものではない。それに国内でもラジオとテレビがあれば無料で学ぶ機会にも恵まれている。私、ずっと日本にいるので、全く英語、話せません、はウソウソ、できるはず。完璧な文章でなくともビビることはないのだ。
逆に、中途半端に数ヶ月アメリカに留学してきました(遊びだよね、ほとんど)、という子の、アメリカかぶれした全文Rの巻き舌発音のようなものが、英語だと思う必要などない。英語っぽく、ではなく、正確に発音する、Rは下をつけない、Lはつける、Vは唇を軽く噛む、それ位の基本のき、さえ正確なら英語は通じるのだ。
昔、一緒にアメリカ出張に行った某有名商社マンが、U.Sデニーズに入り私の横でコカコーラを注文した。暑い中で高そうなスーツ着て、気取って足を組んで、英語っぽく口をとんがらせてウエイトレスさんに注文を伝えた。彼の前にはココナッツ飲料が運ばれてきた(私は我慢できなくて吹き出してしまった)。呆然とする彼の横で、私は、ワン コーク プリーズ、と言ったらコカコーラが出てきた。そんな感じ。直球で行こうよ、直球で。
あとは何を話すか、なのですよ。英語だって、日本語だって、単なるコミュニケーション手段だから内容が大事なのです。
私が尊敬するボスは、当時、マイクロソルトのビル・ゲイツとやりとりするような人だったけど、英語は、全くカタカナ読みのような英語だった。Vを発音する時、しっかりと下唇を噛んでいたのは印象的だったけど。ただ、そのカタカナ読みの英語を話す社長の姿があまりに凄みあって、自信に溢れていてビジネスでは全く不自由していなかった。ある時一緒に移動している車の中で、アメリカ屈指の投資会社、リップルウッド社とビジネス交渉の電話をしていた。なんか揉めていた感じで険悪なムード。すごいカタカナ英語だけど堂々と怒鳴り合っていて、一歩も引いてなかった。むしろ相手に、お前の英語わかりにくいから、もっとはっきり話せ、と言ってた(相手はネイティブだけど、、)。これだよね、これ。
とはいえ、私は、大きな会議の時は前日から話したいこと、を繰り返し繰り返し英語でノートに書き殴って英語脳を作っていた。海外出張の際に飛行機の中でもやっていた。必要な単語は調べたり、いかに簡単な文章で渡りやすく伝えていくか、自分が言いたいことを何度も何度も書き殴ってそれなりに努力はした。まあ、会議中に見る為のノートではないし、会議も生き物なので、こちらの想定通りには進まない。役に立つの?と思うかもしれないが、これが本当に役に立つのだ。同じことを伝えるにも、何パターンもの文章ができる、何パターンもの言い回しがある。思いのまま英語を書き殴ると頭も整理されて文章が洗練されてくる。会議の進行がその通りにならなくとも頭に英語の耐性ができるのです!
とあるエンターテイメント企業では、アジア諸国の担当者とアメリカ本社の人も混じってのアジア会議なるものが定期的に開催されていた。当時は、コロナ前なので電話会議が多かった。顔が見えない。
6カ国アジア会議。
これがカオス。贔屓目にみても、アジア諸国のみなさんは「私は英語、全く大丈夫」、と言う割には発音ひどいのさ。訛り?癖?良くあの英語で自信持つよね、と思うほどである。あの自信、日本人も見習うべきだと思う。電話会議なので、ただでさえ、どの国の人が喋っているのか声だけで判別しにくいため集中モード。そこで、それ中国語じゃない?なんて英語が飛び込んでくる。次の人は、全部の文章がモジャモジャ繋がっている感じで、この人どこで息継ぎしているの?なんて不安になる。こちらはメモも取れない自体が発生する。
でも、みんな本当に臆せず良く喋る。本社の担当が参加しているため、全員にとってアピールの場所なのですよ。みんな必死。こんな素晴らしいことをしている、こんな成果が生まれている、こんな凄いアイデアがあるので進めたい、などなど。まあまあ、アピール合戦がカオスのような英語で繰り広げられて本社担当がそれに反応している会議です。
うんざりするけど、そこで、負けていては日本、何にもやってないの?と言うことになってしまうので、割り込んでいくしかない。躊躇していたら一生発言のタイミングがなくなるのだ。1人の発言が切れたところで、Japan、Japanと発言を試みるが、また横から私の倍の音量でインド(多分)が話し出す。あああああ、、取られた!!!次は!!
そして、このインドの人ったら、何言っているのか全くわからない、けど話が長かった。集中していると目眩すらしてくる。本当に困って、チャット機能を使って、本社担当に(結構仲良しだった)、「私、彼女の英語わからないわ。あとで大事なことだったらメール頂戴!!」と送ったのです。
すると本社担当が、「心配しないで!私も何言っているのか分からないから!!!」🤣
はあ?
と言うことは、みんなわからないのか。
なんなのさ、この時間は。
発言しないは、ありえないけど、頑張るけど、こーゆー場面は留学していたとか、英語が流暢とか、そんな次元ではないタフさ、が必要なザ・現場である。
仕事で英語を使う、ということは、流暢に話せるなんて事以外に、もっと大切なことがある、を痛感する場面だと思う。
ヒアリングがね、、、ともよく聞く。私も正直苦手。
でも、これは私なりの理論がある。
ヒアリングは量だと思っている。一定の量がコップに満ちると、驚くように今まで聞こえなかったものも聞こえてくる。その量が、1000時間くらいだと思う。昔、アルクという英語教材に1000時間ヒアリングマラソン、と言うのがあった。1000時間、英語のシャワーを浴び続けるのである。その1000時間、には意味があると思う。800時間でもダメ、900時間でもダメ、でも、1000時間、コップに英語が満ちると聞こえてくるものがある。今まで聞こえなかった単語が不思議と拾えるようになるのだ。
少し聞いて、全くわからない、とやめちゃう人。やっぱり留学しなきゃダメなんだよね、という人、様々だ。でも、日本でも英語のシャワーを浴びることなどできる。
そして、その先、聞こえるようになったら、シャドーイングがお勧め。耳から聞こえてきた英語を少し遅れて口に出してみる。完璧でなくとも、聴きながら声を出して真似てみる。この方法は驚くほど英語が上達する。
私も最初の外資系企業の時はほとんどわからなかった。そのため、本社の担当に、ヒアリングがまだ苦手なので(英語が苦手とは言ってない)大事なことは、後でメール確認を頂戴ね、と言えるような人間関係の構築を大切にしていた。
また、アシスタントを採用する時は、私より英語ができるアシスタントを採用して助けてもらった。大事な会議の場合、私の後ろに入ってメモを取ってもらったり、私が聞き取れなくて困った場合には、大事な所を殴り書きして差し出してもらったり、とてもお世話になった。
でも、2社目、、3社目、と進むうちに、そんなお願いしなくても大丈夫になってくる。1000時間の論理なのかと思う。逆に、英語がどんなに流暢でも仕事ができなければ話す内容がない。そちらの方がビジネスでは最悪だと思う。多少の事は突っ込んでいけば道は開ける、という訳だ。というか突っ込んで道を開こう、かな。
日本の教育は、英会話を重視しないし、面倒な文法にこだわる。それはそれで大切なんですが、もっと、英語でのディベート練習はやるべきだと思ってる。世界に出たら、それなりに、会社を背負って戦う場面だってあるのだし、完璧を求めようと躊躇したり、奥ゆかしさ、なんて言ってられないのだから。時には、単語だけで叫び、ガオッと威嚇することも大事である。
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