2024年9月30日に発売される『妄想講義 明るい未来の描き方と作り方』(「次世代の教科書」編集部編)。新進気鋭24名の著者が「妄想」をテーマに文章を寄せ合い、まったく新しい未来の可能性を開くアンソロジー本である。
これまで前半パートでは、哲学者永井玲衣さんと編集部で「妄想」という言葉の前に立ち、多くの問いを出した。その中から今回哲学対話で深める「問い」を一つ選んだ。
それは「妄想によって変わるものはなんだろう?」という問いだ。後半パートではこの問いで哲学対話を進めていく。
「妄想によって変わるものはなんだろう?」
シュンサク:
よし、じゃあ再開しましょうか。え〜と、1,2,3,4票、お。「妄想によって変わるものは何か?あるいはあるか?」これが一番多いかな。うん、これで始めましょうか?
一同:
はい。
シュンサク:
大丈夫ですか、本的には。
ヒカリゴケ:
本的には……バッチリです。
シュンサク:
あよかった(笑)、良くなさそうな反応だったけど(笑)。
生活野郎:
これそうか、本のためにやってるの忘れてた。そうだ、本のためにやってるんだこれ。
シュンサク:
そうなんですよ〜忘れていくのが面白いですよね。いつもそうなんすけど、あこれ仕事だったってね(笑)。
ヒカリゴケ:
いや、本としてはすごいもう…
シュンサク:
本としてもバッチリだし、みんなの関心的にもバッチリ。じゃあこれでやってみましょうか。
改めて。「よく聞くこと」「自分の言葉で話すこと」「人それぞれで終わらせないこと」を意識して対話しましょう。
じゃあシュンサクから話します。はい。そうですね。妄想によって変わるものは、自己完結しているようで、全然出来ていないと思います。そこはむしろ妄想の凄さでありパワーだと思います。結構危ういイメージが私はすごく大きいです。
一方で、自己暗示する人もいますよね。「私はできる、私はすごい」みたいな。人前で何かペラペラうまく喋ってる自分を妄想して、それを現実に変えていく。むしろ「あ、私そういう経験したことあるかも」みたいに起き変わっていくことがあったりして、そういったパワーを発することも多いと思います。でもやっぱなんか嫌なイメージが多いですね(笑)、今良いところを無理やり出したようなところもある笑。そんなイメージです。
今のはきっかけですけどもここからは、それはつまりこういうことだとか、何か言うことをポンポン綺麗に出してくってよりは、いろいろ遠回りしながら新たな問いが見つかる事も大歓迎だし、何かエピソードでもいいので、今どんなお話も必要な状況ですので、まとまってなくていいので教えてください。
アライさん:
はい。アライさんです。シュンサクが今、結構ネガティブなことが思い付いて、逆に自己暗示はポジティブな事として仰っていた。後ポジティブに捉えられるとしたら自分の妄想を叶えたときとかですかね。これはちょっとまた違う話になってくるかもしれないんですけど、、僕は妄想っていうものの延長線上に現実っていうのが位置づけられすぎな気がしていて、
生活野郎:
へ〜。
アライさん:
ポジティブな意味で例えば妄想してたことを現実にしてそれはすごいねとか言われることもあるし、一方で自分の妄想を何か他人に押し付けて、例えば現実の相手に自分の妄想の中のその人を押し付けちゃって、現実と乖離した、だから妄想を見ての特定の相手に何か押し付けちゃったことによる人間関係のトラブルとかっていうのはあると思うんですけど、だから妄想が…やっぱりさっき言ったことかな。妄想が、現実とか現実とは違うものとか、現実と結びつけられ過ぎているような気がする。
生活野郎:
なるほど。
アライさん:
「妄想によって変わるものはなにか?」という問いは「妄想は現実に影響を与えられるか?」という問いに少し近い気がして、でも妄想ってものが及ぼす影響とか力って現実だけではないのでは。かといって何があるのかっていうとまだわかんないけど(笑)。例えば何か自分の過去について妄想するとか、それで何かが変わるみたいなことがあったとして、現実に…いや、それは現実に影響を与えてるってことなのかな?みたいなことを考えてました。一旦終わります。
「妄想世界」と「現実世界」
生活野郎:
いいですか?(手を挙げる)はい。生活野郎です。やっぱり世界の認識が変わるんだろうなって思います。僕はアライさんと逆で、閉じた世界。多分そうは意識してなかったけど、自分の精神みたいなものの中だけで完結していて、思考世界みたいなところでぐちゃぐちゃやっていくのが妄想で、現実世界と妄想世界みたいな、単純な二項対立で捉えていた所があります。だから「妄想によって変わるものはなにか」と言うことで言えば、チャンネルというか思考世界から現実世界を見ている窓みたいなものが変わるんじゃないかって思いました。なんかちょっと言葉が変なような気もするけど。
フランス語で蛾と蝶は一緒みたいな話があるんですよ。フランス語でパピヨンでしたっけ?忘れちゃったけど。我々は「蛾」って言うし、蛾って言ったらちょっとマイナスなイメージがあって、「蝶」といったらなんかちょっとポジティブな印象があって、イメージしている対象が違うけど、フランス人にとっては「ひらひらしてる、羽があるアレ」って思っているだけで蛾と蝶の区別はない。後はイヌイットの言葉では、雪を表す単語が多いらしいです。我々は雪っていうと「大雪」とかせいぜい「みぞれ」とかそれぐらいの分節しかできないけど、アイヌ語だったら雪に対する解釈がたくさんある。自分が持っている語彙で世界を見ているというか、自分が持っている概念とかがそのまま、それは主観的に見ているんだけど、それが客観的な世界かのように我々は捉えてしまう。そのときに妄想っていうものも必ず作用するだろうなと思います。
例えば粗品とあのちゃん、恋愛的な事について思いを馳せている人だったら、男女が2人いただけで、すぐ付き合っているふうに見えるだろうし、金のことをずっと考えてる人とかであれば、「いやあそこには何かプロデューサーの意思が働いて云々…」みたいなことを考えるかもしれない。一つの物事を取っても、すごい変わるだろうと思う。それがさっき言った妄想世界から窓で見ている現実世界、みたいな。あれでもそれは違う…?でもそんなイメージが湧きました。ちょっとダラダラして何が言いたいのかわかんなかったですけど、以上です。
アライさん:
はい。今の話を聞いてさっき自分もいろいろ喋ったんですけど、多分あの時言いたかったことって生活野郎さん…ん?じゃないや、妄想野郎の、いや妄想野郎じゃない(笑)
イシダ:
(笑)。
アライさん:
生活野郎だ(笑)。
生活野郎:
めちゃめちゃ楽しいやつだ妄想野郎(笑)、めちゃめちゃ陽気なやつみたい。
アライさん:
そう生活野郎さんのおかげで、自分がさっき何言いたかったのか分かった気がして、(別の問いで)ここに「妄想は何じゃないんだろう?現実じゃないような気がする」って書いてあるんですけど、多分僕はその妄想の対義語を「現実」以外のものを考えたいなって多分思っているのだと思う。
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